どっちの選択肢も知って選ぶ

わたしは一昨年まで
「ゴミは悪」
「ゴミゼロが素敵」
って思っていて、

(急にゴミの話。失礼)

自分の誕生日も5.30(ゴミゼロ)で気に入ってるし
ゼロウェイストを目指していました

プラスチックゴミが出ないように
容器に入れてくれる肉屋さんを探して、

野菜は直接買ったりもらったり

生ごみはキエーロというものを作って
土に還ってもらって。

コンビニで何か買うともうもうゴミだらけだから
コンビニへは印刷するときくらいしか行かなかった。
(コンビニを悪みたいにしてて、ごめんね)

そんな生活をしてて、
一年で出した燃えるゴミの袋の数は3つ。

でもあるとき
あるセッションを受けて
衝撃的に気づいた部分があって、

わたしの大事にしてること=ゴミを出さない暮らし
→地球のため
→そのためにわたしがすこし苦しくてもいい
(例えば少し腐っていて捨てたらゴミだけど、わたしが食べれば私が少しおなか壊すだけ、って思ってた!!!ひぃーーー)

という考えを
 「それはどうして?」
 「それやるとどうなると思う?」
と掘っていってもらって、

「地球の一部だから、自分を犠牲にしてもいい、と思っていた」
(明日は別に来なくていい、とさえ思ってた)
(なんと生きるのに消極的!)

ということに気づいた

この気づきに続けて、

それを感じているのは
「わたしという存在があるから」
ということも気づかせてもらったセッションだった

あれは衝撃だった。

そのあとわたしがやったことは、
・ゴミを捨てることで豊かになる人をイメージして、感謝を込めてゴミとして捨てる
・新品の物を店舗で買う

すぐにはできなかったけど、
それ(食べたいけどゴミが出るからという理由で選ばない、とか)を一回OKにしてみる。

すぐに新品の洋服を買えなかったけど、
ハンカチとハンドクリームを自分に買ってあげた!

「ゴミを捨ててもいい」(語弊があるかもしれないけど)

を一度自分に許可してみて、
で、どちらがいいか気持ちよくできるか、どちらをしたいか、
は、自分が決める。

選択肢を自分にあげる。

「どっちの選択肢も知って選ぶ」のたとえがこれかよ、
と自分で想いながら、書きました。

選択肢を自分にあげる。(二回言う笑)

ごりごりに固まってる固定概念は人に見てもらって気づけるのよね。

だいぶ時間が経ってしまったけど、ありがとうございました。

このブロックが外れて本当によかった。

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